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Vo.鈴木

Vo.鈴木の『タイヤキノナカミ。』~最近の中身~

2017.02.02

マジメにいこうと思います。
どう見られているのか、どう見られたいのか、そんなことばかりを考えるのはやめにして、僕なりに誠実でマジメに向き合っていかなアカンなと思っています。

去年の秋ごろから、なんだか悩むことが増えた気がする。
それも大体おんなじようなことで。またこれか~。またそれか~。とずっと繰り返しているような気がする。
これだけ続くということは、割と自分の中で大きなテーマなのだということ。

人と話すとき、その人の表情の些細な変化や、変哲もない言葉の裏側を妙に勘ぐったりしてしまうようになってしまった。
上手く持ち上げられてるんじゃないか、都合のいいように動かされてるんじゃないか、そんなことを頻繁に考えてしまう。
これが被害妄想だと言えばそうなのかもしれない。けれども大体、思ったようにされている実感もある。
そして自分が話すとき、同じように勘ぐられているんだろうなぁ、と考えてしまう。

「自分のことは自分でちゃんとやりなさい。」そう言われ育ってきたことを思い出した。
大人に近づくと自分のことを心から考えてくれる人がとても少なくなる。
子どもの頃のように、誰かの気持ちになって、その人のために怒ったり、泣いたり、ムキになったりすることがめっきりなくなる。
気付けば心の奥の隅の隅で、”結局自分とは関係ないからなぁ”なんて思ったりもするし、思われてたりもする。
だからこそ、自分の生活は心は、自分で守らなきゃいけない。持ち上げられないように、利用されないように身の振り方・印象の与え方、”自分のことは自分でちゃんとやらなければならなくなる”。
大人になることがこんな息苦しいことだと知っていたなら、母よ、最初から教えてくれよ~。と思ってしまう。
僕は鈍感だから、周りの同世代がやれている”自分を守るべきすべ”を最近になって知った。

ただそれでも、やっぱり僕は勘ぐりながら話をしたり、都合のいいように人を動かしたり、自分勝手を押し付け合ったり回避し合ったりするのは嫌だ。したくない。
素直に言葉のまんまを受け取りたい。思ったまんまで送りたい。
子どものころから、色々なものを拾って色々なものを捨ててきた。
それでも今の僕の両手には、あの頃から持っていた”真面目さ”しか残っていなかった。

大人を知って大人になるのではなく、誰かを知って誰かになるのではなく、僕が元来持っていたそれだけを大事に向き合っていけたらなぁ。そんなことを思っている。真面目さを研ぎ澄ます。僕にはそれしかできない気もしている。それが最近の中身です。